「パパ活」女子はなぜ赤ちゃんをゴミ箱に捨てたのか?裁判で語ったこと

自分の赤ちゃんをゴミ箱に捨て、やがて捕まった女性がいる。2025年9月、その裁判があったのですが、そこで語ったことが衝撃だったので、ここで取り上げました。

すべては「推し」のため、「パパ活」女性

彼女は法廷で驚くべき発言を繰り返しました。

「『推し』のライブがあった」

「終わったら自首するつもりだった」

ライブに行くには資金がいる。

頼りにしたのが「パパ活」。出会い系アプリを使って男性とデートを重ね、お金をもらっていた。これは新聞でも報道されていますが、性行為にも応じ、避妊具なしの行為も。稼ぎは月に80万円。そのお金を推しのアイドルにつぎ込んでいたと言うことです。

このての事件では、多くのケースで、似たような報道がありますね。

赤子を置き去りにしてホスト遊びに明け暮れて赤子が死亡してしまったとかね。

悲しいね。悲しいけど、すべては優先順位なのでしょう。

赤子よりも男との関係が、優先順位が高いと思わざるをえません。

この事件について、詳しく見ていきましょう。

「パパ活」女子はなぜ赤ちゃんをゴミ箱に捨てたのか?裁判で語ったこと

事件の概要(報道から得られる事実をもとに整理)

まず、新聞などの報道によれば、東京・練馬区のアパートで、23歳の女性が風呂場で男児を出産し、へその緒を切ったうえでタオルでくるみ、ビニール袋に入れ、ゴミ箱に遺棄した、という事件がありました。

裁判で語ったこととは?

この女性は初公判で起訴内容を認め、「相談できる人がいない孤立した状態で出産し、パニックになって適切な判断ができなかった」と主張しています。

赤子を捨てた理由は、「推しのライブがあったから」とのこと。

この事件を知ったとき、「ひどいな」と思いましたが、なぜそうせざるを得なかったのか、を考えさせられました。赤子は男の子で、父親はだれかわかっていません。

このような事案は、単なる「個人の犯罪」だけで片づけられない、深い社会的構造や制度上の課題をはらんでいます。

パパ活女子の赤子ゴミ箱遺棄――背景と要因の分析

こうした極端な事例には、複数の要因が複雑に絡み合っていると考えられます。以下、主な視点を挙げます。

妊娠・出産を巡る「孤立」「隠蔽」構造

妊娠を他者に知らせづらい環境

若年、未婚、パートナー不在、あるいは関係が破たんしているなど、妊娠を告げられる相手がない、あるいは告げることが心理的に許されにくい事情があること。周囲(家族、パートナー、友人)との関係が断絶している、あるいは不安定であること。

情報・相談ルートの欠如

妊娠・出産・子育てに関して安全・安心に相談できる公的制度や支援機関へのアクセス、心理的安全性が確保されていない場合、妊婦は「自力で何とかするしかない」と思い込んでしまう。

出産直前・直後の身体的・心理的混乱

分娩中・出産直後は、痛み・出血・ショック・ホルモン変動・疲労などで正常な判断力が損なわれやすい状態である。その中で「例外的な行為」を犯してしまう。

特に「無痛分娩」や医療介入がない(=自力で出産するケース)だと、予期せぬ事態に対応できず、混乱に陥る危険性が高まる。

恐怖・恥・罪悪感

妊娠・出産・子どもを持つことに対してネガティブな社会的・文化的視線があると、「知られたら非難される」「見捨てられる」「人生が壊れる」といった恐怖感を抱きやすい。これが行動を抑制するのではなく、逆に極端な隠蔽行為を選ばせてしまう引き金になることもある。

社会的支援・制度・地域ネットワークの脆弱さ

妊婦支援・相談体制の不備

例えば、妊娠初期から手厚くフォローする保健師・助産師訪問、妊娠相談窓口の普及・周知、匿名相談や出産前支援制度、悩みを抱えた妊婦に対する「命の選択」ではなく「救いと支え」の制度設計が不足している。

経済的困窮・生活基盤の不安定さ

若年層・非正規雇用・低所得家庭などでは、妊娠・出産・子育てにかかるコストが重くのしかかる。将来の生活不安が「自分には育てられない」と絶望感を強めさせる。

医療機関・産科体制の地域格差

分娩施設の不足、夜間・休日の対応が難しい施設、地域によっては産科・助産院が遠いことなど。妊婦が通いづらい、あるいは受け入れてもらえないケースが存在する。

地域コミュニティの希薄化

近隣住民・自治体・ボランティア・NPOなどの支え合いネットワークが弱まり、妊婦・子育て家庭が孤立しやすい。「顔の見える関係性」が失われている地域では、悩みを話すきっかけ自体がない。

法制度・倫理・文化の制約・矛盾

養子縁組・里親制度のハードル

「出生届けを出さない/子を手放す」ことを選択肢として十分に整備されていない、あるいは心理的なハードルが高いこともある。

刑罰・刑事制度の焦点

こうした事件はたいてい「殺人」「遺棄」として刑事責任が問われるが、刑罰中心の議論しか出ないと、根底にある“支援・予防”の視点が置き去りになりやすい。

倫理・道徳観と社会的スティグマ

妊娠・中絶・未婚出産などに対する社会的偏見や差別、優生思想などが、妊婦自身の罪悪感や自己否定感を助長することがある。

問題提起:社会として私たちは何を問われているか

このような事件は、単なる「異常な個人の行為」ではなく、社会構造・制度・文化の欠陥を映す鏡とも言えます。以下のような問いを、社会に投げかけねばなりません。

1. 生命の尊厳と母性への孤立の構造

新しい命が生まれるとき、それを選択し育む母親・家族をいかに支えるか。生まれてきた命と、その母に対する社会責任を、私たちはどう負うのか。

2. 制度と現実とのギャップ

制度があっても、当事者にとってアクセスが難しい、周知されていない、あるいは心理的なハードルが高いという「制度の現実との乖離」が、こうした悲劇を生む。

3. 偏見・排除を生む文化

妊娠・出産・子育てに関する偏見(未婚・若年・経済困窮など)は、支援の手を差し伸べる文化や態度を阻む。誰もが「安心して相談できる」空気・風土が社会にあるか。

4. 地域・コミュニティの力の再評価

国家制度や自治体制度だけでは支えきれない部分を、地域・市民・NPOなどが補い合う力が必要になる。孤立を防ぐ「つながり」は、どれだけ構築されているか。

5. 刑罰から予防へのパラダイム・シフト

事件後の裁判・刑罰だけでなく、予防・支援・サポートを重視する政策・支援体系への転換を、社会は本気で行えるか。

解決への方向性

悲劇を防ぐためには、多面的・複層的なアプローチが求められます。

相談・支援窓口の拡充と匿名性・アクセス性の確保

24時間・匿名相談体制、妊娠初期からのフォローアップ、出産・子育て支援制度の強化、経済支援・給付金制度、出産シェルター・滞在施設、里親・養子縁組の制度支援など。

地域・コミュニティネットワークの再構築も必要でしょう。

とはいえ、事件を起こした女性など、果たしてどれだけ支援を自ら求めるか。これはなかなか難しいモンダイかもしれません。

赤ちゃんは男の子。父親はわかっていません。

保釈が認められたあと、児童福祉施設で暮らす我が子には、面会もしているというから、まだ救いはある。

結びに(社会への呼びかけ)

この種の事件は、私たちという「社会」が抱える傷—孤立・無関心・制度の隙間・偏見—を露わにします。被告個人の責任は明らかですが、それだけで終わらせては、同様の悲劇を防げません。

私たちは、命・母性・子育てを社会共同体の責任と捉え、制度設計・地域ネットワーク・文化変革を進めなければなりませんね。「もうひとりの母親/妊婦」が、相談できずに壁にぶつかって絶望を選ぶ前に、社会が手を差し伸べられるような枠組みを築くべきだとは思いますけど。

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